両口屋是清の370余年
両口屋是清の創業は、寛永11年(西暦1634年)で、今から370余年前になり、初代猿屋三郎右衛門は大阪の道秀町から那古野本町に移り饅頭屋を開業した。その後、第二代藩主光友公の御意を得て、「御菓子所両口屋是清」という表看板をいただきました。
年表
1.尾張藩とともに
| 寛永11年(1634年) | 両口屋是清 創業 初代:猿屋三郎右衛門が名古屋・上本町の地にて創業。 寛永11年といえば、第二代将軍、徳川秀忠が没し、徳川家光が第三代将軍になって2年後のことである。当時、名古屋の地は、御三家筆頭である徳川義直(家康第九氏)が治めていた。 |
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| 寛文11年(1671年) | 尾張藩 御菓子御用を初めてつとめる 創業以来の目標であった尾張藩御用をつとめるようになる。創業来、37年を経て、この頃には菓子司として武家や町人の間で評判を得ていた。 |
| 貞享3年(1686年) | 尾張藩主より表看板を賜る 尾張藩主 第二代藩主 徳川光友公より直筆の「御菓子所 両口屋是清」の表看板を賜る。このときにいただいた文字は、現在でも両口屋是清のロゴとして使用されており、暖簾や包装紙などに見ることができる。 |
| 享保14年(1729年) | 六代藩主継友公の母公、泉光院が両口屋是清へお立ちよりになる 交趾国(今のベトナム)から運ばれてきた大象の通過を城下にてご覧に なった帰りに、両口屋是清に立ち寄られた。その折、人形・お盃・楊枝さしなどを下賜された。 |
| 延亨4年(1747年) | 朝鮮使節用のお菓子を尾張藩に納める 将軍家代替わりの挨拶のために来日した朝鮮使節接待用に、400人余りに御菓子を尾張藩に納める。当時は、すべて手作りのためこれだけの数量をお納めするのは並大抵のことではなかったが、無事、お役目を果たす。 |
| 文化12年(1815年) | 東照宮二百年御遠忌の御菓子御用をつとめる 初代藩主徳川義直が父・徳川家康を祀るために建立した名古屋・東照宮の二百年御遠忌が盛大に営まれた折、御菓子御用をつとめる。 |
| 文政7年(1824年) | 8代喜十郎、遠州秋葉山へ参拝 この頃より、永年にわたり火防の神として知られる秋葉山の祭事御菓子御用を務める。 |
2.明治〜戦前
| 明治18年(1885年) | 菓子税制制定 九代喜十郎、これより約10年にわたり菓子税撤廃のため東奔西走 |
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| 明治43年(1901年) | 関西府県連合共催会 名古屋市開府300年記念祭とともに開催。十代喜十郎の「桜雲羹」、一等賞の栄に輝く。 |
| 明治44年(1902年) | 第一回帝国菓子飴大品評会 前年、名古屋生菓子組合長の十代喜十郎の呼びかけにより、名古屋の地で開かれた第一回全国菓子飴業者大会での 議決を受けて開催。第十回以降は全国菓子大博覧会と名を変える。 |
3.戦後〜
| 昭和20年(1945年) | 両口屋是清 戦災を受ける 名古屋市街地を爆撃により、店舗・蔵などが全焼する。 |
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| 昭和22年(1947年) | 御幸本町焼跡に工場建設 |
| 昭和25年(1950年) | 銘菓「旅まくら」誕生 愛知国体開催の際に昭和天皇・皇后両陛下に献上する。 |
| 松坂屋名古屋店名店街に出店 より多くのお客様にお菓子を召し上がっていただきたいと百貨店への出店が始める。 |
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| 昭和38年(1963年) | 小牧工場完成 |
| 昭和59年(1984年) | 名古屋城博「味くらべ尾張城下町」出店 創業350年を記念して、名古屋城博の企画に参加。江戸時代の城下町を模した店舗にて出店。 |
| 平成17年(2005年) | 愛知万博に出店 自然の叡智をテーマにした国際博覧会。老舗和菓子店の一角に出店、記念のお菓子を作成。 |
| 平成18年(2006年) | 表参道ヒルズにRstyle by 両口屋是清を出店 つくりたてにこだわった新しいタイプのカフェをオープン |


